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  • 執筆者の写真オンラインカジノなびライター

テレビ局側の傲慢と隠れ裏番長



テレビ局

日本のテレビ局は、どんな国の放送局よりも傲慢だ、と思う。

局員がスーツを着て出社し始めた頃から、その傲慢さが顕著になった。それには理由がある。


営業はいいよ、スーツで。でも90年代頃、各局の社屋が新しくなった頃から制作や編成などの局員までもが挙ってスーツを纏うようになり、慇懃無礼さが鼻につくようになった。流行を作る側から流行を追う側に軸足が変わった瞬間だったね。それまでも決して流行を作ってなんか来れなかったんだけど、その気質だけはあった。服装はテンでイケてなく、恥ずかしげもなくポロシャツの襟を立ててポーチとかを持ち歩いてたりしてたけど、テレビ屋の気概と熱気があり、自分たちの感覚を信じて行動してた。でもスーツを着だしてからは、流行の「兆し」では指も動かさなくなり、流行に実績という尾びれがつき始めてからようやく動く、後追い精神が蔓延するつまんないサラリーマン化。



頭でっかちなテレビ局のプロデューサー

原作者問題もそんな気質が引き起こした現象だ。自分達で面白い作品が作れなくなったから、アニメやコミックで実績が確立され市場が存在する玉を追いかける。でもプロデューサーはテレビのプロを気負ってるから、つまんない脚本家にあれこれと映像化に際しての自分の考えを押し込む。その際、タレントに対する忖度や事務所への(いらない)配慮とかを味の素のように無駄に加えるから、出来上がったものは、原作者にとっては作品の根幹部分を侵されたようにしか映らない。それが視聴者にどう映るかは別にして、ドラマ化する前に、原作者とプロデューサーが作品の本質を徹底的に詰めないままで制作に入り、数ヶ月の間で答えを出そうとするサラリーマンだから作品に一貫性が欠けたものとなる。



テレビ局の裏番長は出版社


テレビ局

そこに輪をかけて間に入っている出版社が問題をさらに複雑化している。原作者と長年二人三脚で歩んできた編集者が現場で両サイドの意図を汲み立ち回れればもっと違う結果が生まれるはずだが、テレビ局側と出版社側の交渉は、権利関係を扱う部署が行う。そこでは作品の魂なんて全く理解されていない方々が事務的に処理する。それも上司のご機嫌を伺いながら。そういった事情が、命を絞り出すように作られるはずのクリエイティブを生み出す土台になってないんだ。だから原作者にとっては苦痛以外感じない。

テレビ局側の傲慢さは、テレビ化されればお互いにウィンウィンだから、とかプロモーショになるから、だとかの戯言となって虚しく宙を舞うだけだ。


プロデューサーが、権利関係を扱う管理部署に乗り込んで、うじゃうじゃとやり合わないと無理だよ。でもそんな気概も熱意もないのが、今の現場の実情なんだ。




オンラインカジノなび編集部


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